南島原市口之津町の口之津歴史民俗資料館に、戦国時代末期から江戸時代初期のものとみられるマリア観音像が寄贈された。像の中には、口之津に住んでいたキリシタンが幕府の弾圧が強まる中で信仰を確認するため、1613(慶長18)年に書いた連判状の複製が収められていた。連判状の原本はバチカンの図書館に収蔵されており、原田建夫館長は「複製とはいえ、当時の人々の信仰にかける思いが伝わる貴重な資料だ」と評価している。
マリア観音像は、長崎市の歯科医師、田中克憲さん(70)が所有していた。同町出身の父親が40年以上前に古物商から手に入れたとみられる。数年前から仏壇に安置していたが「ゆかりの地に置いたほうがいい」と思い、同資料館に寄贈を決めた。
像は高さ約19センチの白磁製で、左手側には10字が見られる。像のくぼみには金箔(きんぱく)の跡が残っている。
像の内部に入っていた複製の原本に当たる連判状は、高松市出身の歴史学者、松田毅一氏(1921‐1997)が60年、バチカンの図書館で発見。松田氏は65年に同町でキリスト教に関する講演をしており、バチカンの原本を何らかのかたちで複製したものをゆかりの同町に残したとみられる。
連判状の署名は42人分で、日本語とポルトガル語の洗礼名、本名で記されており、名字を持つ人も多い。原田館長は「支配階級の武士にもキリスト教が深く浸透していたことを示している」と分析する。
度重なる弾圧で同町にはキリスト教関係遺産はほとんど残っていない。原田館長は「不思議な縁で、口之津の先人の名が現代によみがえった。マリア観音像とともに大事な資料として展示していきたい」と話している。
=2008/01/07付 西日本新聞朝刊=2008年01月07日11時13分
マリア観音像は、長崎市の歯科医師、田中克憲さん(70)が所有していた。同町出身の父親が40年以上前に古物商から手に入れたとみられる。数年前から仏壇に安置していたが「ゆかりの地に置いたほうがいい」と思い、同資料館に寄贈を決めた。
像は高さ約19センチの白磁製で、左手側には10字が見られる。像のくぼみには金箔(きんぱく)の跡が残っている。
像の内部に入っていた複製の原本に当たる連判状は、高松市出身の歴史学者、松田毅一氏(1921‐1997)が60年、バチカンの図書館で発見。松田氏は65年に同町でキリスト教に関する講演をしており、バチカンの原本を何らかのかたちで複製したものをゆかりの同町に残したとみられる。
連判状の署名は42人分で、日本語とポルトガル語の洗礼名、本名で記されており、名字を持つ人も多い。原田館長は「支配階級の武士にもキリスト教が深く浸透していたことを示している」と分析する。
度重なる弾圧で同町にはキリスト教関係遺産はほとんど残っていない。原田館長は「不思議な縁で、口之津の先人の名が現代によみがえった。マリア観音像とともに大事な資料として展示していきたい」と話している。
=2008/01/07付 西日本新聞朝刊=2008年01月07日11時13分