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2008.03.17(月) 西日本新聞
宮崎氏しのび「康平忌」 文化賞を2団体に贈る

 盲目の作家で「まぼろしの邪馬台国(やまたいこく)」の著者、故宮崎康平氏(1917‐80)をしのぶ「第27回康平忌」と、同氏の功績をたたえて設けられた第26回島原半島文化賞の授与式が16日、島原市の島原城で開かれた。

 式典では宮崎氏の詩「壮麗な墓」の朗読のほか、島原ジュニア合唱団による「島原の子守唄」の合唱などがあった。また、吉永さゆりさんと竹中直人さん主演の映画「まぼろしの邪馬台国」が今秋公開に向けて制作が進む中、あいさつに立った宮崎氏の妻和子さん(78)は「映画で島原の美しい自然を多くの人に見ていただき、第2の邪馬台国ブームが起こることを期待しています」と謝辞を述べた。

 島原半島文化賞は神代小路(くうじ)まちなみ保存会(雲仙市)と、有家史談会(南島原市)に贈られた。

=2008/03/17付 西日本新聞朝刊=


読売新聞

島原で「康平忌」

 島原市出身の全盲の文学者で、「邪馬台国ブーム」を起こした宮崎康平さん(1917~80年)の命日の16日、同市の島原城観光復興記念館で「康平忌」が行われた。

 宮崎さんは、1950年に眼底網膜炎のため失明。島原鉄道(本社・島原市)の常務を務めた後、妻・和子さん(78)(島原市中町)と九州各地の遺跡を巡り、67年に「まぼろしの邪馬台国」を出版、ベストセラーになった。文化団体などが毎年、この時期に康平忌を開催している。

 この日は約150人が出席。宮崎さんの詩が朗読された後、島原ジュニア合唱団が、宮崎さんが作詞・作曲した「島原の子守唄(うた)」を披露。和子さんは、宮崎さんとの二人三脚の姿を描いた映画「まぼろしの邪馬台国」(11月公開予定)に触れ、「第二の邪馬台国ブームが起きれば」と話した。

(2008年3月17日  読売新聞




語り継がれる人びと(読売新聞2007の記事)
宮崎康平…島原に夢を描きながら(長崎県島原市)

 島原駅の玄関には赤子を背負った子守娘の銅像が建っていた。

 おどみゃ島原の

 おどみゃ島原の

 ナシの木育ちよ

 哀愁に満ちた島原の子守歌はここを走る島原鉄道の常務を務めていた宮崎康平の作である。

 宮崎康平は1917年(大正6年)南高来郡杉谷村(現島原市)生まれ。本名は懋(つとむ)である。中学時代にはスポーツや文学に才能を発揮していた。37年に早稲田大学国文科に入学し、演劇仲間の森繁久弥らと親交を深めた。40年、卒業して東宝文芸課に勤務するが、まもなく兄の死によって家業の土建業を継ぐために帰郷。47年から島原鉄道の常務取締役を務めたが、学生時代から悪化していた眼病が進み、50年には完全に失明した。

 鉄道会社を率いるまとめ役として活躍しながらも、宮崎は文才を発揮する。失明や妻に逃げられた心の痛手ももの悲しい子守歌に反映されていると伝える。

 だが、宮崎は夢を描きながら生きた。「ほら吹き康平」などと皮肉る人もいたが、鉄道を使って島原の良さを天皇に見ていただこうとお召し列車の招致を成功させ、半島を酪農で豊かにしようとオーストラリアから乳牛を輸入。諫早水害からの復興、無農薬有機栽培の実践など、アイデアを次々に実現。57年に結婚し、宮崎の目となりペンとなった和子夫人も「康平とともに暮らした25年間は本当に面白かった。一日たりとも退屈することはなかったような気がする」と語っている。

 65年から「九州文学」に掲載した「まぼろしの邪馬台国」は空前のヒットとなり、第1回吉川英治賞を夫婦で受賞した。

 来年、島原鉄道の島原外港―加津佐駅間が廃線となる。宮崎の思い出深い島原の風景がまた一つ消えてゆく。