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43人の犠牲者を出した雲仙・普賢岳の「6.3大火砕流」から17年‐。3日、島原市内各地で犠牲者を追悼する催しがあった。遺族や避難生活を強いられた市民をはじめ、災害を知らない子どもたちも、慰霊碑前や小中学校などそれぞれの場所で、「あの日」を思い、災害を忘れずに後世への教訓とすることを誓った。
■噴火災害の学習発表 第四小4年生
島原市の第四小学校の4年生28人は、同小体育館で開かれた「いのりの日集会」で、普賢岳噴火災害時の住民生活などについて学習したことを発表した。
児童たちは「6.3大火砕流」で43人の犠牲者が出たこと、度重なる火砕流や土石流で多くの市民が避難生活を強いられたことなどを説明。大火砕流で亡くなった人たちについて「どんなに生きたかったかと思うと心が痛みます。だから私たちは忘れてはならない」と呼び掛けた。
学習発表に先立ち、自身も避難生活を体験した永石一成校長(53)の講話があり、永石校長は「私たちの命はたくさんの人から見守られ、支えられていることを忘れてはなりません。きついときも『がまだす』(頑張る)が私たちの合言葉です」と児童たちに語り掛けた。
■中国の大地震も想定し 第三小で避難訓練
島原市の第三小学校(原賀寿郎校長)の全校児童430人は、「6.3大火砕流」と同様に自然災害の猛威を伝えた中国・四川大地震から教訓を学ぼうと、地震発生を想定した訓練に取り組んだ。
「いのりの日」に合わせた催しで、地震訓練を実施したのは今回が初めて。突然ベルが鳴った後に「地震が起きました」との放送が流れると、児童たちは一斉に机の下に隠れ、その後、落下物から身を守るため体操着袋などを頭に乗せ、足早に避難場所の体育館に向かった。
体育館では原賀校長が「災害は先生がそばにいない時でも起きます。自分の命は自分で守る気持ちが大事」と児童たちに呼び掛けた。6年生の中村智裕君(11)は「母から火砕流の体験談を聞いていただけに、訓練であっても気を引き締めて臨みました」と話していた。
■慰霊碑前献花絶えず
「いのりの日」に合わせて、島原市内では仁田団地の犠牲者追悼之碑前、平成町の消防殉職者慰霊碑前、北上木場町の農業研修所跡の3カ所に献花所が設けられ、終日多くの市民が訪れた。
農業研修所跡地を訪れた同市秩父が浦町の岩永時直さん(83)は大火砕流発生当時、安中地区町内会連絡協議会の役員をしており、犠牲になった消防団員小鉢亮二さん=当時(38)=と当日正午ごろに言葉を交わしたことが忘れられないという。
「あの時、現場に向かうと言っていた小鉢君を殴ってでも止めればよかった。いまだに後悔している」。岩永さんはそう言って涙ぐんだ。
=2008/06/04付 西日本新聞朝刊=
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