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「あの日」の惨劇を決して忘れない--。消防団員や報道関係者ら43人をのみ込んだ雲仙・普賢岳の大火砕流から17年。3日を「いのりの日」とする島原市では追悼行事や学校での集会が開かれた。遺族や市民らは当時に思いをはせ、あの日の出来事を伝え続けることを誓った。
同市仁田町の仁田団地第一公園内にある「噴火災害犠牲者追悼之碑」前には、午前8時半から献花所が設けられ、吉岡庭二郎市長や遺族らが花を手向けた。
タクシー運転手として報道陣とともに犠牲となった立光重蔵さん(当時29歳)の同僚だった塚島嘉子さん(74)(島原市下の丁)は「月日がたつのは本当に早い。立光さんは息子と同じ年齢で、働き者でした。二度とこういう惨事は起きてほしくない」と声を詰まらせた。
吉岡市長は「17年がたっても私たちの心の傷は癒されない。島原を災害に強く、安心して住める町にしなければという気持ちを新たにした」と話した。
同市北上木場町の北上木場農業研修所跡では、火砕流発生時刻の午後4時8分のサイレンに合わせ、遺族や地元の住民らが黙とう。当時の島原市長だった鐘ヶ江管一さん(77)が、遺族らに「皆さんにとっては長い長い、苦しい苦しい17年だったでしょう」と語りかけると、すすり泣く声が聞かれた。
当時、安中地区の町内会長をしていた岩永時直さん(83)(同市秩父が浦町)は、顔見知りの消防団員らが土石流の警戒で同研修所に向かうのを止められなかった無念の思いが今なお消えない。「なぜ、殴ってでも止めなかったのか、今でも悔しくてならない。この日が来るとつらく、悲しい」と涙を見せた。
(2008年6月4日 読売新聞)
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