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司馬遼太郎は1980年に週刊朝日連載の「街道をゆく 島原・天草の諸道」(単行本は82年刊)で謎の水生植物リソサムニウムを書いた。
今の南島原市の原城本丸跡に立ち、タクシー運転手から話を聞いている。赤い海藻が白い残がいとなって白洲(しらす)を作り、最干潮で城の沖に姿を現すのです、と。島原の乱に引き寄せ、司馬は感傷に浸る。「なぜ死ねば骨のように白い石灰質の石になるのか、(中略)十字架の旗のもとで死んだ原城の三万の霊とつい気分としてかさなってしまう」。見てないものに思いを込めて書く、作家という仕事のすさまじさを感じる。
先月、干上がった白洲に上陸し、取材した。白は少なく紫やピンクの直径1~4センチ、ボールやバラの花など、さまざまな形で転がっていた。「こんぺい糖みたい」の歓声を聞いた。こちらの方が大作家の感懐より共感できた。【古賀亮至】
〔長崎版〕
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