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43人の死者・行方不明者を出した1991年の長崎県雲仙・普賢岳大火砕流から丸18年となる3日、地元の島原市の横田修一郎市長が追悼行事を欠席することが2日分かった。全国市長会への出席が理由だが、慰霊と防災の教訓を語り伝える「いのりの日」に市長が不在となるのは初めて。被災の「風化」を示す動きともいえ、地元では賛否の声が上がっている。
市長公室によると、全国市長会は例年、同じ時期に開かれ、日程が重なる場合は午前中に地元で献花し、午後から市長会に出席するといった対応をとってきた。今回は3日午前中に市長会総会が開かれるほか、2日に市が力を入れる世界ジオパーク登録への支援を国に要請するため、市長は1日、東京へ出発した。
今回の市長不在について評価は分かれる。
義弟を火砕流で亡くし現在は雲仙岳災害記念館ボランティアの女性(62)は「市長も被災者の1人。犠牲者を思う気持ちは人一倍あると思う。公務での欠席であれば仕方がない」と話した。
災害当時の市長、鐘ケ江管一さん(78)は「市政運営に当たる人として経済が大変なこの時期に重要な会議に出席するのは仕方がない」と理解を示す。前市長の吉岡庭二郎さん(72)も「市長としての決断なので尊重したい」と容認する。
一方、地元の自営業男性(59)は「市長会は副市長に出てもらうことはできなかったのか」と疑問を呈す。元雲仙火山災害長崎大学学術調査研究グループ団長の後藤恵之輔・長崎大名誉教授(防災工学)も「島原にとって6月3日は犠牲者を慰霊し、災害の教訓を生かす決して忘れてはいけない重要な日。行政の長である市長の不在は残念だ」と語った。
横田市長は県職員出身で昨年11月に初当選。雲仙・普賢岳災害当時は、県立病院課長として島原温泉病院(現県島原病院)の被災者受け入れ態勢づくりを担当。同市安中地区にあった両親が住んでいた実家は、水無川の土石流で失われた。
横田市長は5月31日、噴火災害犠牲者追悼之碑と消防殉職者慰霊碑に参拝。2日に「先祖伝来の土地、家屋を失った1人として島原で追悼の意を表したい気持ちはあるため、現地にいないことは申し訳なく思う」とのコメントを出した。
=2009/06/03付 西日本新聞朝刊=
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