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語り継ぐ 未来託す子へ
2009.6.4(木) 朝日新聞

〓普賢岳大火砕流18年〓

 ◆迫る噴煙・熱風 生々しく

 91年6月に起きた雲仙・普賢岳の大火砕流の犠牲者を悼む「いのりの日」の3日、島原市内の13小中学校では、被災体験者や校長の講話があった。聴き入った子どもたちは、大半が96年6月の噴火終息宣言後に生まれた世代。復興から振興へ。ふるさとの未来は、若くやわらかな手に託される。

 <高野小校長が被災体験>

 同市有明町の高野(こうや)小学校の朝会では、下田恭子校長(54)が当時勤めていた学校での被災体験を全校児童78人に語った。

 下田校長は91年、深江町(現南島原市深江町)の大野木場(おおのこば)小学校で6年生12人の担任をしていた。

 火砕流が学校に迫った6月3日午後4時ごろ、校内には委員会活動で5、6年生が残っていた。廊下から外を見ると、普賢岳に噴煙が高く上がっていた。「いつもと違う」と思った時には、火砕流がみるみる学校に近づいてきた。怖くて逃げられなかった。

 「先生、死ぬかも知れんね」。児童の声を聞きながら、熱風を避けて逃げるタイミングを見計らう教頭の指示を待った。大声の避難指示が出ると、児童らは近くの小林小学校まで振り返ることなく走った。全員無事だった。

 数日後には、避難所となっていた町民センターで授業を再開した。ついたてで仕切っただけの仮設教室だった。その後、小林小に建てた仮設校舎に移った。

 9月15日、新たに発生した火砕流で大野木場小は校舎と体育館が全焼した。「卒業式は大野木場小でしよう」と話し合っていただけに、みんな涙にくれた。

 「当時の6年生はつらい思いをしたんだろうな」。下田校長の話を聞いた高野小5年の柴原海渡君(10)はつぶやいた。

 下田校長は「長崎にいたら、絶対に忘れてはいけない日があります。『いのりの日』もそうです。ふるさとを取り戻そうと一生懸命頑張ったおかげで、みなさんが笑顔で暮らせるようになったことを忘れないでください」と締めくくった。

 ▼追悼 島原市長は不在▼

 島原市の横田修一郎市長は昨年12月の就任後、初めて「いのりの日」を迎えたが、全国市長会議に出席するため東京に出張し、不在だった。献花所を訪れた市民の間には噴火災害の風化を心配する声も聞かれた。

 市の説明によると、横田市長は1日から東京へ出張中。2、3日の市長会議各委員会と総会に出席し、4日に各省庁に陳情の後、同日夜に戻る予定。市長会議は例年3日前後に開かれているが、前市長は短時間でも「いのりの日」に姿を見せており、全面不在は今回が初めてという。

 代理を務めた谷口英夫副市長は「今の経済情勢と島原半島の世界ジオパーク認定のため、市長会議と陳情を優先せざるを得なかった。『いのりの日』を軽視したわけではないことを理解してほしい」と語った。




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