被災地・島原市では被災の遺構や体験を、観光、教育に生かすジオパーク構想が進んでいる。構想の中核施設となる雲仙岳災害記念館に今春、スタッフとして加わった長井大輔さん(34)(島原市新湊)は普賢岳を研究して13年。「科学的な研究に裏打ちされた山や噴火の情報を伝え、住民との懸け橋になりたい」と話す。
日本大文理学部3年だった1995年8月、島原で普賢岳噴火を研究していた先輩を訪ね、被災現場に入った。93年6月に火砕流が襲った千本木地区ではまだ、人の背丈ほどもある岩から湯気が上がっていた。
その体験を機に火砕流の研究を始め、日大大学院を経て同大研究員に。43人の死者・行方不明者を出した大火砕流では、急傾斜のがけを落下した溶岩が爆発し、高温の火山ガスなどの熱風域(火砕サージ)が起きて大きな犠牲につながったと結論づけた。
この研究が火山学会などで高く評価され、2007年、島原市の九州大地震火山観測研究センターの研究員になった。しかし、研究成果が住民に十分に伝わっていない現実を感じ、身近な視点で防災情報を提供できる同記念館職員への転身を選んだ。現在は展示物の運営主任を務め、今後は学校での出前講座などの教育活動にも力を入れる。
3日、同記念館前でほかの職員らと、夜の追悼行事のためキャンドルを並べた。「住民に山を知ってもらうことが、一番の防災対策だと思っています」と決意を新たにした。(篠原太)
(2009年6月4日 読売新聞)