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「自分のプレーをやっていけば夢はかなう」。そう信じて、ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会に向け懸命のアピールを続けた大久保嘉人選手(神戸)。今年2月に左ひざを負傷、4月には鼻を骨折するなど、満身創痍(そうい)の中で初のW杯代表切符をつかんだ。吉報が届いた10日、母校の県立国見高(雲仙市国見町)をはじめ、県内は喜びに沸いた。
国見高では、大久保選手の担任だった北島重和校長をはじめ、教職員が校長室に集まり、代表入りを大きな拍手で祝福した。北島校長は「入学当時は小さくて弱々しかったが、ここまでよく頑張った。生徒のあこがれ、国見高の誇り」。同校サッカー部の高橋精一郎監督も「先輩の活躍が子どもたちの励みになる」と喜んだ。
国見高時代の恩師、V・ファーレン長崎の小嶺忠敏社長は教授を務める長崎総合科学大で発表を待った。日本代表の岡田武史監督の口から21番目に「大久保」の名が呼ばれた瞬間、「入ったね」と安堵(あんど)の表情。教え子のW杯出場は初めてで「オリンピックに出場した選手は何人もいるが、W杯は特別な大会。指導者として大変幸せ」と語った。発表から30分後、大久保選手から電話で報告を受け「おめでとう。日本のために戦ってこい」と激励した。
一方、メンバー入りが期待された同校OBの徳永悠平選手(FC東京)、平山相太選手(同)は落選。小嶺社長は「できれば3人とも入ってほしかった。悠平は身体能力が高く、代表でも通用する力はある。相太もまだ若いし、もっと成長するはず。2人ともあきらめずに頑張ってほしい」とエールを送った。
徳永選手の父、弘幸さんは「厳しいとは思っていたが…。結果は結果。気持ちを切り替えて、まずはJリーグでしっかりプレーしてほしい。嘉人君(大久保)には国見の代表として、活躍してほしい」と話した。
【編注】高橋精一郎監督の高は、口が目の上と下の横棒なし
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