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雲仙・普賢岳大火砕流から丸19年を迎えた3日、島原市では「いのりの日」として市内各所で追悼行事が催された。小中学校では集会が開かれ、当時を知らない子どもたちが、あらためて災害について学んだ。
噴火災害で校舎が移転・新築された第四小では、当時第二小教諭だった永石一成校長(55)が自作の紙芝居「ごめんねラッキー」を上演した。
永石校長の自宅は被災地の安中地区にあり、大火砕流発生後、家族は避難したが飼い犬のラッキーは置いていかなければならなかった。2カ月後、災害派遣の自衛隊員から餌をもらうラッキーの姿をテレビで見た永石校長は警戒区域に入り無事に救い出した。投影機で映し出された紙芝居に、児童だけでなく保護者も涙を流して聞き入った。
6年宮崎礼緒奈さん(11)は「家族をもっと大事にしようと思いました」と話していた。
三会小では、全校児童約290人を前に、普賢岳を観測していた県教育センターの寺井邦久・主任指導主事(53)が講話した。19年前の火砕流や土石流の状況を伝え「今でも雨が降れば泥水が襲ってくるかもしれない。道が川のようになっていたら、家や学校に引き返す勇気を持って」と呼び掛けた。
安中地区にある第三中では、校庭の隣の復興祈念公園に全校生徒約200人が集まり追悼の会を開いた。義弟と教え子を亡くした雲仙岳災害記念館の語り部ボランティア、松本利美さん(63)が「世界には噴火するかもしれない山が800以上ある。絶対に災害を風化させるわけにはいかない」と教訓の継承を訴えた。
=2010/06/04付 西日本新聞朝刊=
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